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永代供養 いわき市 禅長寺
   
   
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永代供養 いわき市 禅長寺
禅長寺 永代供養 いわき市


いわき禅長寺永代供養   禅長寺は平安時代より1200年の歴史を持つお寺です。



zentyouji 扁額(へんがく)
いわき
禅長寺は大同二年(八〇七)
徳一大師が開創したお寺で、
その後文永年間(一二六四〜一二七四)に
後鳥羽天皇の皇子、
寒岩義尹(かんがんぎいん)の遠峰禅師が
中興開山し、亀山天皇の勅願所
(※天皇が国家鎮護などを祈願した寺院)
になるなど、古来より朝廷と深いつながりがありました。


zentyouji 「海會」(かいえ)
いわき
天正七年(1579年)第106代天皇である
正親町天皇(おおぎまちてんのう)
の勅願所となった際、同天皇直筆の扁額
(へんがく※門戸などに掲げる横長の額)
を受け取っています。


「普門山禅長護国禅寺」と彫られたものは山門に、
「海會」(かいえ)と彫られたものは仏殿に掲げられており、
二面とも福島県重要文化財に指定されています。


正親町天皇の御宸筆(ごしんぴつ)
zentyouji 富田信高公の什物
いわき 永代供養
二面は鎌倉の建長寺と深くかかわり、
当寺が「禅長護国禅寺」、
建長寺が「建長興国禅寺」といい、
建長寺で国を興し、禅長寺にて国を護る。
又、扁額の「海会」が禅長寺で
「崇山」が建長寺と
密接なつながりがありました。


右の写真の涅槃図は本末関係であった、
臨済宗建長寺派の大本山「建長寺」から、
文化二年(1805年)に持ち込まれたものです。


zentyouji  涅槃図
いわき 開帳 禅長寺

他にも什物として、御朱印箱、
御朱印状の写しなど
数品の什宝が残されております。
中でも宇和島串丸十万石城主の
富田信高公の位牌と
器数点が残されております。

当寺はこのように
岩城における名刹で、
建長寺の中本山としてばかりではなく、
いわきの仏教史の中で
重要な役割を果たしております。


永代供養のご案内
永代供養 福島県いわき市


 
 
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